サバ缶食べたい

ギリギリで生きてます

「桜の樹の下には」を読んでみて

梶井基次郎檸檬に収録されている「桜の樹の下には」を読んだ

超個人的な感想とゴリゴリのネタバレを主観の文章で書きまくります。

ご了承ください。

 

この作品は美と醜の対比…と、言うよりも美と醜の関係性を書きなぐった作品という印象を受けました。

 

この作品は、”桜”という”美しい”ものに対して嫌悪感を覚える作者自身がその正体に気づくところから始まります。

樹の下に埋まっている屍体から溶液を吸って桜はあれほど綺麗に咲き誇っているのです。

そこに気づくまでは桜の美しさが不気味で直視できなかった作者ですが桜の下に起こる惨劇を透視することによって、桜の美しさに合点がいきます。

 

桜の「美」には屍体の「醜」により完成している。

この惨劇は万物に共通しているようで、後半の渓の場面でも薄羽かげろうも美の供物となっています。

 

さて、ここからは私の妄想ですが、

先程この惨劇は万物に共通すると書きましたが、もちろん人間にも当てはまります。

では、人間の「醜」とは何なのでしょうか?

作者はこれを「憂鬱」としました。

憂鬱によって人間の「美」は完成すると…

その時作者の脳内に現れたのは安全剃刀の刃でした。

この物語のあとを考えると

憂鬱に渇いた彼がどの様な惨劇を起こし、人間の美しさを得るのか?

また、その惨劇により生まれた人間の「美」とはいったい何なのか?

その正体が気になって仕方ありません。

自分の考えがまとまったら記事にしてみたいと思います。

では!